静岡県浜北市在住 竹内さん    『レシテリヌイ勧降』、『日露戦争突入』

以下は、新聞記事入力ボランティアの竹内さん(浜北市在住)が、入力者用掲示板に投稿したり、事務局宛てにお便りをいただいたものの中から、「楽しみ方」にあたるものと思われる文章を、ご本人の了解を得て掲載します。

2003.4.5  『レシテリヌイ勧降』 

現在入力中の記事(明治37年8月)は旅順艦隊、浦塩艦隊の記事が多くあり、司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読むと非常に参考になります。
小説の種本は文芸春秋社版司馬遼太郎全集25巻、坂の上の雲3、第3部「黄塵」の最後の方ですが、例えば芝罘港に逃げ込んだ敵艦レシテリヌイに勧降交渉に行った寺島中尉の事です。静岡民友新聞では8月14日第2号外(ファイル番号 F0200448)にその記事が載っています。
東京電話(8月14日午後4時)ということですので、恐らく司馬氏もこの記事(中央新聞の掲載として)を資料として見たのではないかと推測されます。
新聞記事では寺島中尉が海中に投げられたとなっていますが、小説では船上の取っ組み合いは不利と見て相手とともに飛込んだとあります。
また、8月20日掲載の記事、「浦汐艦隊に付」中、▲火薬の強弱 に出てくる敵弾は甲板上に落ちてもコロコロと転がって威力はないとありますが、小説に出てくる「下瀬火薬」のことについて読みますと、彼我の性能が納得できます。
当時の日本人の研究熱心に感動します。

以前は日露戦争といえば100年前の出来事とあまり興味もありませんでしたが、この時代の入力を始めてから、前線の兵士の行動また内地の状況などが身近に感じられてしばらくは楽しい時を過ごす事ができると楽しみにしております。

2003.1.24  『日露戦争突入』 

昨年末に原稿も一挙に日露戦争の時に突入しました。
時代背景を知る必要があると思い、図書館で司馬遼太郎の「坂の上の雲」を借りてきて読んでおります。付録の地図により紙面に続出する得利寺という地名がどこにあるかも分かりました。
また、戦死者公報で小野田村(江戸末期には小松村と称し、有名な清水一家の七五郎が住んでいた所で私の檀家寺には位牌も安置されています)小松の方の名前を見つけました。番地から推察するのにはどうやら自宅の近くであるということで、招魂社に祀られている人々が日清・日露以降というのに気がつき調べますと、やはり隣の隣保の先々代の方でした。
歴史書に見られない巷の話題を新聞紙上で発見するということは入力作業の副産物の醍醐味と思えます。